日常

「秀樹さん」

先日、CSの無料放送で「夜のヒットスタジオ」の1977年、1978年当時のものが立て続けに放送され、とても喜んだ。70年代のノスタルジックなものが大好きなので、当時の放送が観れるのは嬉しいし幸せだ。
中でも西城秀樹さんが歌う「ブーツをぬいで朝食を」と「炎」が観れたのが良かった。
秀樹さんの全盛期を知っているのは僕の年代(1971年生まれ)より以前の方達だが、僕が最初に秀樹さんに興味を持つ様になったのは毎週土曜日の朝に放送されていた「モーニングサラダ」と言う番組を観てからだ。
秀樹さんが司会、伊藤つかささんがアシスタント、新人時代のとんねるずがコントを披露していた。
当時僕は小学4年生。僕はまず秀樹さんが持つ優しい雰囲気と人当たりの良さが好きになり、次に格好良さ、歌の上手さという順番で好きになっていった。
中学2年生の時、僕は母と一緒にデパートのレコード屋さんに入り、興味のあったレコードを買った。記憶では初めて自分でお金を出して買ったレコードだ。買ったのは秀樹さんの「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」と山口百恵さんの「プレイバックPart2」だった。
当時は松田聖子さん、中森明菜さん、田原俊彦さん、近藤真彦さんらが全盛で、レコード屋さんの店員の人から見たら珍しく思えたのだろう。僕に「僕、古いのが好きなの?」と聞いてきた。何となく恥ずかしくなったが、それでも買えたことが嬉しかった。
僕が高校1年生だった1985年に当時の万博のテーマ曲になった「一万光年の愛」が発売。秀樹さんの50枚目のシングルで、レコードジャケットには過去49作のシングルのジャケットも掲載された。当時はレンタルレコード屋さんで借りて聴くことしか出来なかったが、後々購入し、掲載された49作のジャケットを参考に1枚ずつ買い揃えていくことになる。
秀樹さんは亡くなる1年前の2017年に、静岡の夏の野外イベント「フェスタしずおか」のライブイベントに来てくれた。
残念ながら人数制限によって場内に入ることは出来なかったが、場外でも観れる大きなモニターでその姿を見て、大音響で漏れて聴こえる「YOUNG MAN」に合わせて僕も、その周りの人達もみんなで「Y.M.C.A.」の振り付けをした。
「秀樹さんに会える!」と思いワクワクしながらイベントに向かったのが今ではとても良い思い出だ。

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kazuhiro

静岡市 | 1971年生まれ | 個人ブログです。 思い出や日々の日常を更新します。 プロフィール画像は静岡市葵区「駿府城公園」から見上げた青空です。

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