僕が小学生の頃、当時の土曜日は半日だけ授業があり、昼前に帰宅していた。
決まって土曜日の昼食は母が握ったおにぎりと、インスタントの醤油ラーメンだった。
いつも手間隙かけて料理を作る母だったが、土曜日の昼食だけは唯一気を休めて、このメニューを定番としていた。
毎日献立を考えるのが大変だと言っていた母にとって、これはいい試みだった。
僕はこの定番メニューが意外と好きだった。
平日は夕方近くに家に帰ると、母が夕食に向けて料理をしに台所に立っていた。
母が料理をしている姿は安心感があり、一緒にその場にいるのが心地良かった。
揚げ物から煮物から、母の料理は友達に自慢出来るほど上手で大好きだった。
高校時代は毎朝早起きし、お弁当を作ってくれた。
社会人になってからも、帰宅したら母の料理がいつも待っていた。
残業で遅くなっても、僕の分をお盆にのせていつも残しておいてくれた。
僕は30歳まで実家暮らしをし、翌年から仕事の都合で実家を離れることになった。
ちょうどこの頃から母が認知症を患う様になる。
実家を離れてからもまめに帰省して母と会話をするようにしていたが、仕事が忙しくなるにつれ帰省する機会が減っていった。
知らぬ間に母の病状は進行していった。介護する父も負担が増えていくようになった。
そしてある日、母の料理が恋しくなって帰省したところ、もう自分で料理が出来ないほど病状が進行していることを知った。
母が自ら「私、もう出来ない」と家族の前で言った。母の手料理がもう食べられないと分かり、寂しさともどかしさでどうしようもなく居た堪れない気持ちになった。
母が亡くなってもうずいぶん年月が経ってしまった。母のこだわりの料理の味を少しでも残したかった。もっともっと料理を教わっておくべきだった。
「残る後悔」