日常

「優しかったあの友人」

小学生から中学生になった時、僕はギャップにとても戸惑った。
「先輩と後輩」「男と女」「明るいと暗い」
小学生の時に深く意識していなかったキーワードが壁になった。
年上だろうが「〇〇君」「〇〇ちゃん」だし、年下ともお互いにタメ口だったし、
女の子とも、その子の家に行ったり、逆に家に来てもらったりして遊んでいた。
それが急に年功序列が出来て、女の子と遊べばその子と付き合っているのかと誤解され、お互いに意識して距離をとるようになり、
性格がおとなしいと「あいつは静か」ではなく「暗い」と言われるようになる。
次第に、もともと口数が少ないのがさらにしゃべらなくなり、笑わなくなり、感情表現を無くしていった。
何か取り残されたような気持ちになり、人から離れ、人も僕から離れていった。
楽しいはずの修学旅行も、集合写真でも同級生と撮っているスナップ写真でも僕が笑っている写真は1枚も無い。
そんな写真も見て父親が「もっと笑うといいな」って寂しげな表情で言っていた。父親をガッカリさせてしまった。
そんな中学生時代、印象に残っている友人がいた。
彼とは同じ小学校で、近所に住んでいて、通っているそろばん塾が一緒だった。
小学生の頃からあまり素行が良くなく、卒業したら間違いなく不良になるだろうと言われていた彼だった。
ある日そろばん塾で彼から「〇〇(僕の名前)、悪いけど100円貸してくれないか」と言われた。
困った顔をしていたので助けてあげたいと思い、僕は何の疑いも無く、理由も聞かずに100円を貸した。
彼は「ありがとう。必ず返すよ。」と言って笑顔になった。
たかが100円だがその当時の小学生が持つ100円だ。良いお菓子が買えるし、とても大きかった。
翌日、彼はちゃんと100円を返してきた。そこには、約束を果たす、責任を果たすといった彼なりの気持ちが感じられた。
中学生になり、彼は予想通り素行が悪くなり、不良と呼ばれるようになっていった。
僕とは全く違うグループにいってしまった彼だが、ある日の放課後、彼と偶然会った。
彼は僕に「〇〇、元気か?」と言って笑顔になり昔話を始めた。僕も笑顔で話をした。
側から見たら、弱い人間が不良に絡まれているとしか見えなかっただろう。
しかし、そうではなく彼は僕を受け入れた。
彼は僕に「何かあったら言えよ!」と言ってきた。そう、彼は義理を果たそうとしてくれていたのだ。
その言葉がどうのこうのと言うよりも、僕は彼が変わらず以前と同じ様子で僕に接してくれたのが嬉しかった。
ただ、その後の接点はあまり無く、近所でも彼に関する話は悪い噂ばかりだった。
数年すると彼は引っ越してしまい、もう探す術も無い。
彼が僕だけに見せたくれた優しさを、今でもたまに思い出す。

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kazuhiro

静岡市 | 1971年生まれ | 個人ブログです。 思い出や日々の日常を更新します。 プロフィール画像は静岡市葵区「駿府城公園」から見上げた青空です。

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